【あんガル】黒森すずとの夏休み~1日目③~
買い物が終わる頃には六時近くになっていた.両手いっぱいに買い物袋を下げて炎天下の中を歩く.日はまだ沈んでおらず,町全体が長い影に覆われる.
帰りの途中影踏み遊びをしている子供たちがいた.弟くんも昔やっていたようで懐かしそうに見ていた.僕も昔やったような気もするし,やっていないような気もする,よく覚えていない.そんなことを話していたら弟くんが「今度やる?」なんて真顔で言ってくるから思わず笑ってしまった.たまに突拍子もないことを言ってくるのはアンジーとそっくりだ.普段は冷静で真面目なのにたまに天然・・・と言うか少し抜けているところがある.しかしそこが彼のいいところでもあるのだろう.
そんな他愛のない会話をしながらの帰り道だった.
夕飯のメニューはカレーにした.弟くんが料理を覚えたいということなので簡単なものにしたのだ.
包丁を握るのは小学校の調理実習以来らしい.料理をしようにも大抵はアンジーか三波がやってしまうので機会がなかったのだ.まぁ弟くんは器用なのでなんだかんだ上手く扱えるだろうと思っていたのだが・・・
「この玉ねぎ・・・全部繋がっているんだが」
「え!?」
「人参・・・乱切りと言ってもここまでバラバラなのは・・・」
「えぇ・・・」
「ジャガイモ,四角になってるし・・・」
「・・・すみません」
・・・・甘く見ていた!!この子ガチで料理できない!!
包丁の持ち方も変だし,支えている手が危なっかしくて見ていられない.
「あぁ!ジャガイモの芽の取り方が違う!」
「え?包丁の先端じゃないと取れなくない?」
どうやらこれは一から教えないといけないようだ.
まずは包丁の握り方からだ.
しかし,口で説明するのは分かりにくいし,見せても力加減がわからなければ意味がない.
少し恥ずかしいが,弟くんの手を取って教えるしかなさそうだ.
そのためにはかなり密接する必要があるが,仕方あるまい.
「弟くん,包丁の持ち方が違っているぞ.柄はグーに持つんじゃなくて,人差し指を伸ばすか親指を横にするんだ・・・こうやって,こう」
むに.
「あっ・・・」
なにかやわらかいものが背中に当たっている気がする・・・
「支える手は指を曲げるんだ.伸ばしていると切ってしまうからな」
むにむに.
「あ,あっ・・・」
なにかやわらかいものが背中に当たっている?!
「で,切るときは上から力任せに切るんじゃなくて,引き切る感じで・・・こう動かすんだ」
むぎゅう!
「・・・・・!!?」
なにかやわらかいものが背中に押し付けられている!!
だめだ.これ以上はいけない.具体的には言えないけど色々ともう限界がきている.しかしむりやり引っぺがすわけもいかず,包丁も持っているなか無理に動くのは危険だ.どうにかこの状況から抜け出す方法はないだろうかと考えている最中にも.
むに.むにむに.
「あsdfghjkl(声にならない声)」
この悪夢(天国)は続いている.
何か料理方法について教えてくれているっぽいが,まったく頭に入らない.
そろそろマジでキャパシティーの限界がきそうになったときに突然閃いた.
(もう限界・・・そうか!尿意だ!トイレに行きたいって言えばこの場から離れられるぞ!)
「・・・で,ジャガイモの芽はこうやって」
「あ,あのお!」
・・・裏返った,思いっきし.めっちゃはずいけど続ける.
「ト,トイレ行っていいかな?」
今度は低く言いすぎて,ドスをきかせているみたいになってしまった.
案の定すず姉は呆気にとられてぽかーんとしている.が,すぐに我に戻って.
「あ,あぁすまない」
そう言って離れてくれた.
俺は逃げるようにトイレに駆け込んだ.
(弟くん・・・そんなに我慢してたのか)
・・・ふぅ.なんとかあの場から脱出することは出来たが,何も策を練らずに戻ればまた同じことの繰り返しだ.なんかそれでもいい気もするけど・・・
はっ!何を考えているんだ俺は!
しかしここで長時間考えているのも良くない.なにかいい案はないだろうか・・・
二分間考えたが具体的な案は思いつかなかった.原因は俺が包丁が使えないのが悪いわけで,決してすず姉が悪いわけではない.俺が上手くなれば解決するってことまではわかったが,その方法はまったく思いつかなかった.現にすず姉に手取り足取り教えられるレベルだから,この短時間で思いつくはずもなく,その場でどうにかしようというなんともお粗末な結論になった.
なせばなる!ケセラセラってどっかのサッカー少年達も言ってたじゃないか!
謎の自信を持ちながら,戦場(台所)に戻るのであった.
「お,戻ってきたか・・・ってなんか妙に気合入ってない?」
「オッス!気合十分っす!」
「う,うん(なんだこのよく分からない熱血キャラは)」
「オッス!(う,うわぁ.なんだコイツみたいな目で見られてる)」
自分でも第一声がオッスなんて言うとは思っていなかった.が,自然と出てしまったものはしょうがない.このキャラで通すしかなさそうだ.
「え~と,じゃあ先のジャガイモの芽を取ってほしいんだけど・・・」
「オッス!」
「・・・・僕は玉ねぎを炒めるから,一人でも大丈夫かな?」
「オッス!・・・って,え?」
「え?まだ一人じゃ不安か?」
「え,いやたぶん大丈夫だと思うけど」
思わず素が出る.
「いつまでも僕がくっついていたらやりにくいだろう.握り方とやり方を正しくやれば難しいことではないからな」
「あ,うん」
先までの苦悶はなんだったんだろう.とりあえず芽の取りの続きにかかる.
「少しペースを上げないと夕飯の時間が遅くなってしまうからな.と言ってもカレーは下準備だけが大変で,終われば煮込むだけだからそんなに急くことはないんだけどな.焦って怪我だけはしないでくれよ」
「う,うん.気を付けるよ」
すず姉はそう話しながらも手は動かし続けていた.自分は目の前の強敵に精一杯で,返事しかできないのに.器用なもんだなぁ.やっぱり音楽やってる人って皆器用なのかな?しずくなんかも「きらいじゃないです」とか言ってなんでも出来そうだからなぁ.
確かに今まで色々なことに巻き込まれ,経験し,解決してきた方だと思う.けどそれは偶然だったり,周りに助けてもらったりしたからこその結果だ.
ひとりじゃなにも出来ないとは言わないが,大半は友達に助けられていることが多い.今はまだそれでいいかもしれないが,いずれは俺も自立し,家庭を持ち,支えてあげる立場になる・・たぶん.その時は誰にも頼らずにいれるくらい強くならないといけない.姉さんもそういった意図があって,料理ができない俺に,料理を教えようと思って,すず姉に頼んだんだろう・・きっと.
けど・・・そうか.俺ももうそんな歳なんだな.まだ進学するかどうかも決めていないし,まして結婚なんかまだまだ後先のことだと思っていたけど.姉さんの同級生で結婚している人だっているんだもんな.
この夏,真剣に進路のこと考えてみるかな.
そんなことを考えているうちに下準備は終わっていた.
その後は,具材にかるく火を通して水で煮込んだ.この時に灰汁をしっかり取っておくと,味がよくなるらしい.
灰汁も取り終わったら,弱火にしてフタして十分煮込むそうだ.
・・・そうだ.すず姉の進路について聞いてみようかな?あ,けど三年生にこういうの聞くのはタブーだって言われたな.以前会長にも聞いたことあったけど,たしかその時は「のーぷろぐらむなのだあ」って言ってたな.けどみつる先輩達がツッコみをいれて「ひまり,それを言うならNo problemだからね.それじゃあまだ進路は決まってませんって言ってるようなものだよ」「う,うるさいのだあ!では聞くがみっちー!おまえは決まっているのか!?」「ん,僕かい?僕はここの大学に進学しようと思ってるけど」「へー・・・ってそこめっちゃあたまいいところじゃないか!?」「え,うんまぁ.と言うかひまり,進路用紙は出したのかい?」「ぎく!」「やっぱりまだだったか.それじゃ本当にのーぷろぐらむだね」「う,うわーん!みっちーがいじめるのだあ」「あーうざい.私の所に来ないでください.切りますよ?」「ひど!!」ってなってたな.
最後にみつる先輩に「ひまりみたいにまだ決まってない子もいるから,あまり三年生の前で進路の話はしないほうがいいよ」って言われてた.
うーん,しかし気になる.すず姉はなんて進路用紙に書いたのだろう
④へ続く